No.003 四国を結ぶ橋に隠された秘密

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 本州と四国を結ぶ橋は3本ある。岡山と香川を結ぶ「瀬戸大橋」、兵庫・徳島を結ぶ「明石海峡大橋」、広島・愛媛を結ぶ「しまなみ海道」の3本だ。これらは「本州四国連絡橋」と呼ばれ、本州と四国を橋で結ぶ主要な道路・鉄道ルートとなっている。最後に完成した橋は2006年の『しまなみ海道』。『しまなみ海道』は3本の中で最も安く建設したとはいえ7500億円。なぜ四国という人口の少ない地域に3本も橋を建設する必要があったのだろうか?それには国家機密ともいえるある軍事的な理由が隠されていた。

日本で最も安全な地域?

それは有事の際に大都市からの被災者、あるいは事前避難者を四国に円滑に移動させるためだというのだ。「本州四国連絡橋」が計画されていた当時、「アメリカ」と「ソビエト連邦(ソ連)」は冷戦の最中であり、一触即発の緊張状態が続いていた。アメリカの同盟国であった日本も例外ではなく、ソ連から攻撃を受けることを恐れていた。そこで、四国を安全な避難場所として策定したのだ。

では、なぜ四国が安全な場所といえるのだろうか?それは、ソ連が攻撃をした際に真っ先に標的となりうる「アメリカ軍基地」が四国には一つも無いためである。そのため、巨額の建設費を投じて本州と四国には3本もの橋が架けられたというのだ。

本州四国連絡橋は明治時代に構想されていた

これら3本の橋が架けられている瀬戸内海沿岸の地域で語られることが多い。そもそも、「本州四国連絡橋」の構想は東西冷戦時代のはるか以前の明治時代に提案されたのが始まりといわれています。この橋ができる以前は、本州と四国とは「連絡船」により結ばれていました。

戦後の混乱期に連絡船の海難事故が多発

しかし、戦後になってから「連絡船」の海難事故が相次いで発生し、多数の犠牲者が出るようになりました。これは、戦後の混乱期で絶対的な船舶が足りず、少々の悪天候でも定員以上の乗客を乗せて運行していたことが原因として考えられます。中でも、1955年に発生した国鉄宇高連絡船「紫雲丸」の海難事故では、修学旅行中の小学生を含む死者168名を出す大惨事となりました。

海難事故が建設を後押し

紫雲丸の事故を受け、海難事故を無くす目的で「本州四国連絡橋」の構想が具体化し、建設に至りました。「本州四国連絡橋」が建設された背景には、悲惨な船の事故が隠されていたのです。

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